人生をレールじゃなくてゲーム環境の競争だと考えると面白い
人生とは複雑で重厚なものだからゲームとして見るのもおこがましい
そんな風に思っている方、結構多いです。
僕もそんな風に思っていた時期がありました(かもしれません)
もしくは、レールに引かれた人生や生まれや環境によるものだと思う人もいます。
でもそれじゃ人生つまらないじゃん……って感想を抱きがちです。
ところがネットの発達によって様々な人々の生き様が公開されていくと、そこにはゲーム性がとても深く関わっているんですね。
それを今度は探っていきましょう。
〜目次〜
1. ネット上では競争が可視化されやすい
一番分かりやすい例だと、SNSのフォロワー数であったり、ユーチューブの再生回数、登録者数であったり、ブログのPV数であったり。
Gooleという世界を中心にあれやこれやと数字が回っています。
ネット発展期以前では企業情報としてデータが蓄えられてきましたが、個人でもデータや情報を際限なく収集できるようになっています。そのおかげで個人でも数値を自在に操れるようになってきました。
そうなってくると個人戦に走る人々も増えてきて、今はその発展期の段階です。
これからもどんどん流れは加速していくことでしょう。
2. レールとゲーム性の変化
敷かれたレールを走る人生は、日本が工業発展していく時代においては最強でした。
レールがどんどん作られていくのでその上を全力疾走すれば急成長できる、という時代ですね。
ネット上ではこうしたレールが極限まで削られています。
なにせGoogleを中心とした世界となっているので、自由さと能力主義が蔓延するようになりました。
そのためネット上では自分をどういう売り方するのか全部が自由です。
例え話をするのなら、
最初はレールすらない原っぱから始まります。
草を抜いて環境を整えてから、どこにレール引くかを決めて少しずつ道の土台を作るようにして……
そんな風にレールを自分で作って走っているのが周りに認知されてくると、だんだん周りから支援してもらえるようになります。
最初は徒歩だったのが自転車に、そして原付や自動車にどんどんスピードが上がっていきます。
そうなったらもうこっちのモノですよね。
いわゆるネット上で人気者になっている人々も、それぞれこうした下積みを経ています。
ただ他の人と違うのは、新しく面白いことに飛びつける行動力や、レールを手作業で敷いてる中で未来を見ているかの点だけです。
そこには頭の良し悪しは関係なく、自分の人生として何を表現したいかっていう思いが込められています。
話が脱線しましたが、ネット上においてはこうした個々人のパラメーターが数値として反映され易いです。
ネットが普及する以前では、会社毎にデータが分散されているのでそうしたパラメーターが反映されにくい状態でした。
しかし企業情報がより分かり易くなり、個々人でも利用し易くなり、人々のデータが集まってくると次第に類似性や相関性が見えてきます。
ゲームセンターで様々な筐体のゲームがある段階から、次第に一つの機器に集約されたみたいなものですね。
みんな同じゲーム機があっても遊び方は千差万別で、中にはゲームで一大産業を興す人もいたりと面白いことをする人もいます。
3. ネットと現実の相似点から人生を客観的に見ていく
インターネットが現実と変わらなくなってきたことを嘆く人は匿名コメントとかを見ると結構います。
でもネットがゲーム的にも現実にも近づいてきたことで人生自体が見えてくるようになりました。
こうした生き様を見て追体験して自分の中にどんどん蓄積していくのは面白いですね。
以上の3点でした。たぶんまだまだ考えていけるので思いつき次第随時更新していきます。
私がブログを書きたいなと思ったのは、こうした発見を伝えていきたいのもあります。